建礼門院右京大夫集


この世のほかに

 「維盛の三位中将熊野にて身を投げて。」とて、人の言ひあはれがりいづれも、今の世を見聞くにも、げにすぐれたりしなど思ひ出でらるるあたりなれど、 際ことにありがたかりし かたち 用意、まことに昔今見る中に、例もなかりしぞかし。 されば折々には、めでぬ人やはありし。法住寺殿の御賀に、青海波舞ひての折などは、 「光源氏の例も思ひ出でらるる。」などこそ、人々言ひしか。 「花のにほひもげにけおされ ぬべく。」など、聞こえしぞかし。 その面影はさることにて見なれしあはれいづれかと言ひながら、 なほことにおぼゆ。「同じことと思へ。」と、折々は言はれしを、 「さこそ。」と答へしかば、「されど、さやはある。」と言はれしことなど、 かずかず悲しとも言ふばかりなし。   春の花の色によそへし面影のむなしき波の下に朽ちぬる   かなしくも かかるうきめをみ熊野の浦わの波に身を沈めける  またの年の春ぞ、まことにこの世のほかに 聞き果てにし。 そのほどのことは、まして何とかは言はむ。みなかねて思ひしことなれど、 ただほれぼれとのみおぼゆ。あまりにせきやらぬ涙も、 かつは見る人もつつましければ、何とか人も思ふらめど、心地のわびしきとて、 ひきかづき寝暮らしてのみぞ、心のままに泣き過ぐす。いかで物をも忘れむと思へど、 あやにくに面影は身にそひ、言の葉ごとに聞く心地して、身をせめて、 悲しきこと言ひつくすべき方なし。ただ「限りある命にて、はかなく。」 など聞きしことをだにこそ、悲しきことに言ひ思へ、これは 何をか例にせむと、 かへすがへすおぼえて、   なべて世のはかなきことを悲しとはかかる夢見ぬ人や言ひけむ

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