「孟子」
B.C372 1歳 このころ鄒に生まれる
名は軻,字は子車,あるいは子輿
両親の名は未詳
3歳頃に父に死なれ,教育熱心な母に育てられる
〈孟母三遷の教え〉
孟子の教育のため,子供が悪い環境に染まるのを恐れ
母は,墓場の近くから市場の近くへ,
さらに学校(寺子屋)の近くへと三度引っ越したという
〈孟母断機の教え〉
勉学途中で家に帰ってきた息子に,母は織りかけの布を
断ち切って,勉学を途中で止めれば今までの努力が無駄になることを 戒めたという
353 20歳 このころ子思(孔子の孫)の門人に学ぶ
337 36歳 斉の都臨シに行き「稷下の学」に学ぶ
323 50歳 諸国遊説の旅に出る
梁の恵王に仁義を説く
318 55歳 斉の宣王のもとへ行く
312 61歳 斉を離れる
309 64歳 滕の文公に厚遇される
307 66歳 鄒に帰り,門人を教育する
弟子万章と『孟子』を作る
289 84歳 死す
【仁義の説】
「仁は人の心なり,義は人の路なり」
孔子の唱えた仁に義を加えた
仁義を併称することで,孔子の仁をより発展させた
【性善説】
人間は天から善なる性をうけてこの世に生まれると考えた
人の心には次のものがあると考えた(四端の説)
惻隠の心 人の不幸を見過ごせぬ心
羞悪の心 自己の悪を恥じ人の悪を憎む心
辞譲の心 人に譲る心
是非の心 物事の善悪を判断する心
このそれぞれが仁・義・礼・智の端(糸口)であるとした
【王道論】
君主が「人に忍びざるの心」によって
民に恒産(一定の収入)を保証し
恒心(正しい一定の心)をもたらせることを目的とする
覇道政治の否定である