中島 敦 年譜
1909年(明治42)〜1942年(昭和17)。 小説家。 東京都に生まれた。 東京大学文学部卒業。 中国古典文学に親しむとともに、西洋の文学・哲学の影響をも受け、人間存在の不条理 を追究する独自の作品世界を形作った。 古典的教養を背景としたロマン的作風を特色とした。 主な作品に、『光と風と夢』『名人伝』『弟子』『李陵』などがある。 『山月記』は、1942年(昭和17)に『古潭』の一編として雑誌『文学界』に発表 された。 1909年 明治42  0歳 五月五日、東京市四谷箪笥町に生まれる。                父は中学の漢文教師中島田人、母チヨは小学校教員。                叔父も祖父も漢学者。                <中島家は父祖伝来の儒家の家であり、 漢学の素養は家庭で培われた。> 1910    43  1  父母離婚。 1920  大正 9 11  父の転勤で朝鮮京城に移る。 1922    11 13  京城区公立京城中学校に入学。 1923    12 14  第二の母死去。 1926    15 17  第一高等学校文科甲類に入学。       (昭和 1)  1927  昭和 2 18  肋膜炎にかかり一年間休学する。                『下田の女』 1928     3 19  このころより喘息の発作が現れ始めていたと言われる。                『ある生活』『喧嘩』 1929     4 20  文芸部委員となり、『校友会雑誌』の編集に携わる。                『蕨』『竹』『老人』『巡査のいる風景』 1930     5 21  第一高等学校を卒業。東京帝国大学国文学科に入学。                『D市七月叙景(一)』 1932     7 23  橋本タカと結婚。南満州、中国北部を旅行する。 1933     8 24  東京帝国大学国文学科を卒業。大学院に入学。                同時に私立横浜高等女学校の教師となる。                <英語と国語を教える>                『辻南先生』(脱稿) 1934     9 25  激しい喘息発作。以後生涯苦しむ。 大学院を中退。                『虎狩』(脱稿) 1936    11 27  中国旅行。                第三の母死去。                『狼疾記』(脱稿)『かめれおん日記』(脱稿) 1939    14 30  この年より喘息の発作が一段と激しくなる。                『悟浄歎異』(脱稿) 1941    16 32  横浜高女を退職。                パラオ南洋庁内務部地方課に国語編集書記として赴任。                <転地療養の目的だったが、かえって風土病のデング 熱や喘息に苦しむ>                南洋諸島の公学校を視察。                『ツシタラの死』(脱稿)『悟浄出世』(脱稿) 1942    17 33  三月、帰京。                南洋庁を辞任して、療養・創作に専念する。                十一月中旬より喘息の発作激しく、十二月四日、世田 谷岡田病院で死去。                『山月記』『文学禍』『光と風と夢』『弟子』(脱稿)                『光と風と夢(第一作品集)』『李陵』(脱稿)                『南島譚(第二作品集)』『名人伝』   1948    23     『中島敦全集』  戻る