父は,清原元輔。「後撰集」を撰集した「梨壺の五人」の一人。 学者であり歌人である。
母は,よくわからない。当時,女性は名前を記録に残さないのが普通。 清少納言の清も,清原の清。少納言は,宮中での役職名。 だから,清少納言の本名は分からない。 女性は,陰のものといい,汚れた者として扱われていたらしい。 何という差別。人間不平等の時代といってよい。
16歳頃に,橘則光と結婚し,則長を産んだ。 元輔の死後,離婚した。しかし,当時は離婚という言葉はなく, 自然消滅のカップルになったという意味。夫が家に来なくなったのだ。 当時は,通い婚といって,夫が妻の家に夜になればやってくるだけで同居はしなかった。しかも,一夫多妻制なので,他に良い妻ができると,そっちにばかり行って そのまま消滅してしまうふうふもあった。そのかわり,妻の方も正妻でない限り 他の男を夫に迎えることは認められていたようだ。
24歳の時,父が死亡。
28歳頃宮中に出仕する。宮中とは,天皇の住まい。出仕とは勤務すること。 そこで,一条天皇の中宮定子に仕えたのだ。中宮とは,天皇の正妻をさす。 清少納言は,あまり美人じゃなかった。しかし,文才があり,頭の回転も良かったので 定子に気に入られる。「枕草子」もこのとき書かれた。
紫式部の「源氏物語」もほぼ同じ時期に書かれた。 紫式部は,同じく一条天皇の中宮彰子に仕えていた。 定子と彰子は同じ夫をめぐってライバルであったし,清少納言と紫式部もライバル同士。紫式部はその日記に,「清少納言は何でも知ったかぶりして,偉そうにしているが 漢籍の知識だって未熟だし,つまらないことに感動しているうちに軽薄になってしまったようだ。そんな人の最期が良くないのは当然」と書いている。
34歳の時,中宮定子は天皇の正式な妻である,皇后となる。
ところが,あっという間に定子は病気で亡くなってしまう。 清少納言はがっかりして,宮仕えを辞めてしまう。 その後まもなく,彰子が皇后となる。その後藤原棟世という貴族と結婚したらしいが,よく分からない。
晩年は不幸であったらしい。いつなくなったのかも分からない。