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枠ぐみ揺らぐ優生学批判ージェンダー論、再考の季節
かつて激しい論争の中にあったフェミニズムの関連領域が、古戦湯のような雰囲気を漂わせているのは日本だけの現象ではないらしい。『神奈川大学評論』と『思想』がジェンダー論で特集を組んでいるが、そこにあるのはフェミニズムの歴史をより広い視野から自己点検しようとする成熟した態度である。超近代とも言うべき冷戦構造がフェミニズムに対して挑発物であったのだとすれば、冷戦後、フェミニズムの求心力が後退するのもやむをえないのかもしれない。 二項区分の成果と限界 ジョーシ・W・スコット氏は「ジエンダー再考」(思想4月号)で、フェミニストが1960年代に、セツクスとセクシャリテイーとを区別するために導入したジェンダー概念のその後の運命を総括した上で、ジェンダー研究の再定位へと読む者を誘う。 もともとフェミニズムは、18世紀西欧の民主主義革命によつて生まれた双生児の、うち捨てられた片割れであった。身分制社会が打破され、代わつて個々人の人格が平等な社会が実現したまさにそのことが、男女の性差を浮かび上がらせる結果となり、これが性の社会的不平等の根源となった。生物的自然とこれを支配する理性的な近代市民という基本図式が生み出され、生物的自然に女性が、近代市民に男性が割りふられて、近代家父長制イデオロギーが成立した。こうして近代を通して女性性の由来は生物学的自然に押し込められてきた。 これに対して文法用語であるジェンダー概念を、生物学的な性とは別個の、社会的な性の統制原理を意味するものとして使用することを、フェミニストは考えついたのである。この戦略は一時期めざましい成果をあげた。だが考えてみると、ジェンダー論の底には客観的な生物学的性の存往が仮定されていた。このような性についての言説はジェンダーの機能そのものだったのである。セックスとジェンダーへの二項区分は、ジェンダーの広範曲で微妙な政治的機能を解明するためには有害なものですらあった。スコット氏は、これを乗り越えるためにもジェンダーを具体的な歴史の中に置き直し、比較社会学的研究へ回帰すべきだと力説する。 一方、笠間千浪氏は「ジェンダー秩序のなかの《ノイズ》の可能性」(神奈川大学評論32号)で、確立したジェンダー秩序に対して撹乱因子となりかねない性転換症が、さまざまな医療専門分野の力関係によって新しく疾病として認定され、結局は既存秩序の中に取り込まれていく過程を分析してみせる。 危険な人間理解の起源 フェミニズムの歴史と不可分の関係にある、生物学的還元主義の人間理解が危険をはらむことは、ボストナチス時代のわれわれはよく知つている。ただしその危険を生み出すものは政冶的集団意識の側であり、歴史をみるかぎり生物学の発達との対応関係はほとんどない。むろんこれは科学者の社会的責任を軽減するものではないが、生物医学研究に対するこれまでの批判の枠組みが有効ではなくなつていることは確認しておいた方がよい。通俗的なナチズム像に類似した局面を見つけ出し、とりあえずこれをたたくことが非人間的な近未来社会の到来を阻止することだと考える反ナチズム原理主義は、事柄の表層しか見ていないことが露になってしまう時代に入ってきた。たとえて言えば、コソボにおける民族浄化がナチスと同じだとして現代生物学の中にその原因を求めても仕方ないのだ。 80年代に提案された、人間の全DNAを解読しようとするヒトゲノム計画は、生物学的還元主義を再び呼び覚ますのではないか、という懸念を巻き起こした。この計画の推進者の一人であり、DNAの二重らせんモデルの提唱でノーべル賞を受賞したジエームス・D・ワトソン氏は、アメリカにおける遺伝学研究の中心、コールドスプリングハーバー研究所の所長でもある。またこの研究所は戦前は優生学研究の中心でもあった。そのためワトソン氏は、ヒトゲノム計画と優生学との関係を正確にに把握しておく必要を痛感し、96年の研究所年報に「遺伝子と政治」という長文の論考を発表したのである(Cold Spring Harbour Laboratory/Annual Report 1996)。ここで氏は、戦前の優生学史を総覧しDNA研究と遺伝病対策との関係を述べた上で、遺伝研究の成果を人間福祉のために応用するのは当然であり、これを遂行するためにも優生学の実像を心に刻みつけておくべきだ、と主張している。 福祉国家と強い親和性 近年の優生学史研究は、優生学をナチズムと同一視するのは誤りであり、むしろ福祉国家と強い親和性があったことを明らかにしている。市野川容孝氏の「福祉国家の優生学」(世界5月号)によれば、戦前に福祉国家うち立てたスウェーデンは34年に断種法を成立させ、70年代に至るまで福祉サービスとの見合いで半強制的な断種を行っていた。優生学はナチスの崩壊によって終わったのではなく、逆に暴力的なナチス政権が消滅したことによつて科学的優生学の時代が到来した。戦後のスウェーデンや日本の優生政策の強化はその典型であった。氏によればこの二つの国の差は、スウェーデンが調査の上で生存者には補償を行おうとしているのに対して、日本政府は過去に触れようとしない点である。 今、常識化しているナチズム=優生社会という図式は、60年代の科学批判とこれに続くバイオテクノロジー論争の中で形成されたものである可能性が強く、ナチス優生学はこの時期に否定的に再発見されたと言ってよい。日本の場合さらに、それまで社会の中に出ることがなかつた障害者が優生学のイメージ形成に影響を与えた。当時、脳性麻痺の子供をエプロンのひもで殺害した母親の刑軽減運動が起こったのだが、これに対して障害者自身が、ではわれわれは殺されてもよいのかと反論し、その後、自らの立場を論理化する過程で、実用化され始めた出生前診断をナチス同然の障害者の事前抹殺という批判を始めたのである。 このような状況と、最近のべストセラー、乙武洋匡氏の『五体不満足』(講談社)を読み比べてみると、この30年間の社会のの変化に目もくらむばかりである。この本は、近親者の殺意や絶望の気配の一切ない、さわやかな若者の生活エッセーになつている。障書者解放にとっては理想に近いキャラクターを得たことになる。だがそれは一面で、これまでの障害者論の政治性が剥奪さ、氏が毒気のない人生訓の供給者として消費し尽くされる危険にあることでもある。新たな状況に応じた障害者論が準備れなくてはなるまい。
三菱化学生命科学研究所室長・米本 昌平 1999/4/28 朝日新聞
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